【自分を削り出す】ブログを1ヶ月連続で更新することで得られたこと(上)

「さてーー」名探偵は推理を振り返り、そこにどんなささいな小石もないことを確認した。

 

こんにちは、たわら(@Whale_circus)です。

2018年6月27日から365日連続更新をめざしていたこのブログも早いもので1ヶ月を過ぎました。毎日パソコンを開いて、ブログ記事を更新するという行為を続けて30日が経過しています。

毎日記事を書くなかで気づいたことをまとめようと思います。ブログを書き続ける行為に疑問を持っている方やブログをはじめてみたい方の役に立てばうれしいですが、何よりも自分が今の気持ちを忘れないように書き記しておきます。

生活に起きた変化は2つに分けることができます。「内面の変化」「関係性の変化」のそれぞれを記事にしてまとめます。

結論から言えば、ブログ記事を毎日執筆することで得ることのできる最大の収穫物は、自分を見出すことができる、という経験にあります。

詳しく説明します。それではまずは「内面の変化」から見ていきます。

1 ブログを更新することは自分を削り出すこと

ブログの記事を書いて、ネットに公開することは、全世界に向かって自分がどんな人間かを宣言することに等しいです。大袈裟だな、と反応する方もいるかもしれませんが、たわらがほんとうに実感するところです。

自分がこんな人間なんだ、と直接言葉にしなくても、あなたがどんな記事を書こうとも、そこにはあなたが漂っています。

例えば、ある映画についてあなたが語るとしましょう。映画の素晴らしい点を説明し、映画のメッセージを抽出し、製作者の問題意識を指摘し、全体の感想を述べるでしょう。そこにあなた自身は言及されていません。しかし選ばれる言葉や文章量、切り取る映画のワンシーン、社会問題への接続の仕方などにはすべてあなたが関わっています。あなたがいなければ、その文章は存在していないのですから。

したがって、あなたが何かについて語るときには、対象を通して自分というあり方を世界に提示していることになるのです。

そして文章を書くことによってあなたは自分の立ち位置を知ることになります。それがまさに自分を削り出すことにつながります。

つまりブログを書くことは、それがどんなテーマの内容で、どのような文章量であれ、ある対象と自分の位置を確かめ続ける行為なのです。

記事一つ更新しても薄皮一枚しか、自分を削り出すことができないかもしれません。それでもあなたが自分をより正確な形で知る一歩には間違いありません。些細な削り方でも、あなたはあなたを見出しているのです。この行為は手放しで称賛できると確信しています。

 

2 曖昧な思考に気づく

そんなことはない、とあなたは言うかもしれません。執筆という形でなくても日々思考しているし、その行為を通して自分を再発見している、と。

例えば、電車の座席について物事を考えているとしましょう。昨日見たニュースやら目の前のつり革広告やら隣の乗客が扱うスマホの画面からでもあなたは思考を始めるはずです。そして何か結論にたどり着くこともあるでしょう。なるほど、あれはこういうことかもしれない、と。そしてすぐさま別の思考を呼び覚まします。ときに驚くほど関連のない考えがつながる、そんなときがあります。

それでもその思考を文章にしてみると、その拙さから目をそらすことはできないでしょう。主語が曖昧で、述語は不明確で、適切な形容詞が見つからないのです。思考は飛び跳ねて、僕らをいろんなところへ連れていき、さまざまな景色を見せてくれます。

しかしその思考のジャンプをよく観察すると、大きな崖を飛び越えていることに気づきます。思考していることを書くこと、その行為によって思考の欠落に直面することができます。その欠落を言語化することで、思考の道筋を整備することができます。またその深い穴を記述しようと試みることは、あなたが何を避けようとしていて、どんな知識が不足しているかを明確にする利点もあります。

書くこと、それによりいかに自分の思考が地続きになっていないかを発見することができます。思考するために書く、と村上春樹は機会があるたびにそう言います。間違っていないことを、体を通して理解することができます。

 

3 どう伝えるかを考えるようになった

書くことを通して、思考の拙さに気づくことができます。地続きの思考を繰り返すことで、より正確に、より深く自分自身を混沌の中から削り出すことが可能となります。

しかしブログは自分を知るためとはいえ、記事のなかで展開される思考は読者へと開かれていなければなりません。つまり頭の中で飛び跳ねる思考を、地続きの思考へと整備し、さらにそこを読者が容易に通過できるようにしなければならないのです。

これは簡単ではありませんが、常に他者を想定するという癖がつきます。まだまだ未熟ですが、この課題に気づけたのは収穫でした。何かに心踊ったときや美しいものに触れたときに、その理由を他人に伝えられるように理解する、そういう習慣をつけ、実際に毎日訓練することができます。

最初から完璧を目指すのは無理ですが、毎日ちょっとずつでも読みやすい文章を書くことを意識するようになりました。

 

4 投稿することは気持ちいい

記事を完成させ、公開のボタンを押す。それは気持ちいい行為です。間違いありません。

なぜか? 形ないものに形を与えることができたからだといえます。

思考は飛び跳ねています。脳内で無数のスーパーボールが跳ね回っている様子を想像してください。その中にはずっともやもやを与えるボールがあるはずです。書いて思考する行為はそのもやもやに形を与えることができます。

もやもやが発生する理由はそのボールがあなたの大切な何かの場所を突いているからです。その場所を特定し、言葉で表すことで、もやもやを取り払うことができます。

日常的に胸に抱えていることを言葉に置き換える行為を達成することは気持ちいいです。わからなかったことがわかる、あるいは不安だったことの原因がわかるからです。気持ちいです。

そしてそれは次の思考への足場となります。もやもやは大切な場所を刺激しうる限り、一度には晴れないでしょう。しかし言葉を与えることで、次は何を考えたらよいのかがわかるので、自分が大切だと無意識に思うことをどんどん言語化することにつながります。どんどん気持ちよくなるのです。それは自己理解をともなっているからです。

ブログを通して毎日執筆すると、思考を言語化することを可能にし、自分にとって何が大切か、何を求めているかを理解することができます。

混沌の中から自分を見出すこと、それがブログを書く最大のメリットであると言えます。

 

別の記事で「関係性の変化」を紹介します。

 

読んでくださった、ありがとうございます。

たわら