【後編】たわらが立ち上げたい物語とは?「幼女としゃべる犬理論」??

「さて――」名探偵は完璧なアリバイに安堵している真犯人のただ一つの失態に光をあてる。

 

今回は「幼女としゃべる犬理論」の後編について紹介します。たわらが描きたい小説の世界の根底には、しゃべる犬、が潜んでいます。きっと潜んでいる、とたわらは信じています。

前編の記事はこちらです。

【前編】たわらが立ち上げたい物語とは?「幼女としゃべる犬理論」??

上の記事では、あるドッキリ番組で紹介された、ペットとの会話が幼女の行動を変えたエピソードを描写しました。結果として、千夜子は夜にトイレにひとりでいけるようになったのです。

「幼女としゃべる犬理論」を深く理解するために、まずはこの幼い女の子に起きた心の変化に着目したいと思います。

 

ひび割れた女の子の世界

まずペットがしゃべるという事態が彼女に起きます。それは彼女にとってひとつの事件として現れます。しゃべった? 気のせいかな、いや、ほんとにしゃべってる。名前を呼ばれただけじゃなく、きちんと会話のキャッチボールができるのです。否応なく迫る、犬がしゃべる世界に包み込まれてしまった幼女の世界観は揺さぶられ、動物はしゃべられない、という動かしがたい唯一無二だと思っていた現実に深い裂け目が生じたはずです。

幼女の目は、現実の裂け目からもうひとつの世界が溢れ出すのを目撃します。つまり、そこは犬がしゃべる世界です。記憶を持つ犬、感謝をする犬。そして、その犬と会話する自分を認めることで、幼女はその世界に身をさらすことになります。

ここで、幼女は自分自身を新しい世界の住人として認めます。心から正直な会話がそれを実証していると思います。そのように認識する幼女は、さっきまでの現実の世界とは別の幼女になっています。無意識のうちに幼女は、自分が別の世界、つまり何か特別なことが起こりうる世界に受け入れられていることを認めているのです。

 

メッセージは弾丸のように、ひとつの奇跡として

そこで、しゃべる犬は幼女にメッセージを伝えます。君には問題を突破できる勇気がある、と。素晴らしいメッセージです。普段の幼女なら、「でも、でも」と認めないか、あるいは、適当にうなずいて大人をあしらうでしょう。しかし、いまは特別なことが起きうる世界なんだ、と深いところで認めている幼女にとって、そのメッセージは弾丸のように胸に突き刺さったはずです。胸の深く、とても深い場所に到達したはずです。

そうして幼女は自分自身を作り変えてしまいます。自分に備わる特別な力を、特別な存在によって気づかされたからです。この時点できっと幼女は変わっていたはずですが、この後の展開が、変身を決定的にします。親への報告が、それにあたります。

こらえきれず、幼女は母親に犬がしゃべったことを報告します。とてもうれしいかったから共有したかったのでしょう。しかし親は知らないふりをします。これで奇跡はより確固としたものとして完成したのです。

自分にだけ起こったことだったんだ。それほど特別な出来事だったんだ、と。幼女に突き刺さったメッセージは、幼女の世界をまるごと塗り替えるほどの力を発揮したはずです。

 

新たな世界での新たな幼女

これが、幼女の心の変化です。しゃべる犬は別の世界を幼女の目の前に立ち上げ、包み込むことで、メッセージを奥底まで届けました。無意識レベルから幼女の世界は作り変えられ、ヴァージョンアップされました。新たな世界では、幼女はひとりでトイレにいける存在なのです。

幼い女の子の心境をこれだけ前向きに変貌させられるのが、しゃべる犬の魅力です。

 

つまり、僕が書きたいのは、しゃべる犬、のような小説なのです。

では、どうやってこの関係を実現できるのでしょうか。「幼女としゃべる犬」の関係を、言い換えれば、「読者とたわらの小説」の関係を。

 

圧倒的な現実感と奇跡

まず読者をたわらの世界に誘い込む必要があります。大変で、困難な行為に違いありません。小説を読む大人はすでに知っているからです。たとえ犬に呼びかけられたとしても、どこかにマイクが仕掛けられていて、どこかに設置されたマイクで誰かがモニタリングしているはずだ、と考えるからです。

大人を幼い少年少女に戻すためには、圧倒的リアリティーを物語の細部にまで張り巡らせることが不可欠です。どんな小さなキズでも、読者は気づき、本を閉じてしまいます(と、薄井ゆうじ氏は指摘する)。圧倒的現実感を用意し、読者を別の世界の住人として読者自身を受け入れるには、相当な力量が小説家に求められるだろうことは、小説家を志す身として、恐ろしいぐらい想像がつきます。

薄井ゆうじ氏については下記の記事がおすすめ。

薄井ゆうじ氏の小説塾・6回課題コース受講

たわらの持論ですが、その新たな世界ではどんな小さなことでもかまわないので奇跡が起きなければならない、と思います。小説をまともに書けていない男が、大上段に構えるようですが、ほんとうにそう思います。奇跡が起き、誰かが救われる。そこに魅力的な奇跡がなければ、物語を読む価値はないのではないでしょうか。

どうやって奇跡を起こすか、それはやってみないことにはわかりません。その奇跡に立ち会うために、たわらは小説を書くのかもしれません。

 

読者にとってしゃべる犬とは勇気の源泉

仮に、たわらの小説が、圧倒的現実感と、わずかな奇跡を物語に含めることができたら、読者の心にはどんなことが起きるのでしょう。

勇気を振り絞るときに、そばにいる物語でありたい、とたわらは思っています。君なら大丈夫と声をかけられなくても、手を握りしめられなくても、ただ誰かが、あるいは何かが、存在するだけで、安心するときってないですか? そんな読後感を読者に持ってもらえるような小説を書きたいです。

あなたが一歩踏み出すときに、自然と湧き上がる勇気の泉があるはずです。その源のひとつであるような小説を書きたいのです。

 

読んでくださったかた、ありがとうございます。

たわら