望ましい方向へ進むことをやめることは自分を裏切ることになり生活の質を落とす

「さてーー」名探偵は自らの推理の死角を過去の経験から自覚していた

こんにちは、たわら(@Whale_circus)です。ツイッターで小説執筆の文字数を毎日つぶやいています。

最近調子が落ちてきているのを実感します。体調も心持ちも。イレギュラーなイベントが重なり、ストレスを抱えてしまっているのだろう。

行動意欲は落ち、食事を顧みなくなり、選択に主体性が欠け、睡眠時間は減少し、目に映る全てに心を苛まされてしまう。電車で読み返そうとした小説はプリンターに忘れてしまうし、ぎっくり腰が治りかけたと思ったら学会の準備で重いものを持たないといけないし、今日締め切りの仕事がポコポコと姿を表してきた。そんな日に限って、ウォークマンの片耳がどこかえ消えてしまうし、残業は遅くまで続くし、それでも仕事は終わらないし、帰りの電車で乗り過ごしてしまう。しまいには、家の鍵を忘れて、兄弟に助けを求めるはめに。

そして今この記事を書いている。誰に頼まれたわけでもなく。

どうしてこんなにもうまくいかないことが続くのだろうか。あなたはわかりますか? 自分が調子を落としてしまう理由が。

僕にはわかっています。だったらそうなる前に手を打てよ、だって? 僕もあなたの意見に賛成します。でもこんなはめになってしまうのです。人生って不思議です。

1  マントラ、持ってますか?

とにもかくにも、にっちもさっちもいかないときに唱えるマントラはお持ちですか。僕にはいくつかあります。いろんな小説やら映画やらで主人公を助けるような文句に出会ってきました。

僕がおそらくもっとも唱えたであろうマントラは村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」から。

「それで僕はいったいどうすればいいんだろう?」

「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽がなっている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい? 踊るんだ。踊り続けるんだ。なぜ踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。……」

「ダンス・ダンス・ダンス」(上) 講談社文庫 pp182 ※傍点箇所は太字にしています

僕の机の正面に掲げられているコルクボードにはかの言葉が掲げられているのは以前に紹介しました。

小説を書くための動機づけとしてカードに記して壁に貼っているフレーズ

とりあえず動くのだ。意味なんて考えてはいけない。どうしてこんなことをしているのかと思考する、それはもっと元気になってからだ。頭を動かすには音楽に体を預けられるようになってから、ということです。

僕は調子を落としているときには必ずこの言葉に立ち戻ります。そして考えます。どちらの方向へ動けばいいのか、と。

もちろん、それは、望ましい方向へ、です。

僕の場合は小説を書く、ことです。

 

2  望ましい方向へ動くことをやめることは自己嫌悪を呼び覚ます

自己嫌悪、これにとらわれると時間をどんどんと失ってしまいます。自己嫌悪についてはまた別の記事にまとめる予定です。頭をしぼって仕事をして金を稼いでいるいろんな人が、自己嫌悪には気をつけるように主張しています。

自分を嫌うことをやめる、とは自分を大好きになる、というわけではないです。自分を大切にするということです。

自分を大切にしないと、負のスパイラルに陥ってしまいます。いつもしている歯磨きをしないとどことなく嫌な感じになります。それに目をつむって寝てしまうと、朝の口の中がいがいがしてしまい、朝からいつもより少しだけ不機嫌になります。注意散漫になり、机の角に足をぶつけてしまい、怒りに任せて冷蔵庫を開けば、牛乳が滑り落ち床に散乱、そしてさらに不機嫌に、、、のようになるかもません。

要するに自分を大切にしましょう、ということです。

最大の自己嫌悪は望ましい方向へ進まないこと、だとたわらは考えています。

 

3  小説が進まないと調子が落ちる

最近小説に関わる質が落ちています。ライフイベントは突発的に起きるし、それに対処しないといけない。しかし小説に関わる質を落としていいわけではないのだ。少なくとも僕の場合は。

望ましい方向へ進みたがっている自分を裏切ること、それが最大の自己嫌悪を引き起こすのです。自分を裏切ると、生活の質が下がり、意欲がなくなり、そしてまた小説への態度が悪くなる。

とにかく集中して小説を書くこと。それが望むことで、それを損なうと自分自身の深いところで機能不全になってしまう。調和が乱れてしまうのです。

みなさんも調子が落ちた原因を把握しておくと、生活の優先順位がおのずと決定してくるので、一度ご一考してみるのをおすすめします。

 

また小説以外に調和を保つ方法を確立する必要があるでしょう。1つに身を任すことは危険です。安冨歩がそういうように。

【自立とは他者への依存の脱却ではない】安冨歩「生きる技法」の「自立」について

村上春樹の場合、それはマラソンだった、と推測できます。僕の場合は、その1つとしてこのブログがあるのかもしれない。だから始めたのかもしれませんね。

クジラのサーカスの舞台上で物語を立ちあげるために、舞台裏で自己の基盤をよっこいしょよっこいしょと整えている、のかもしれません。

 

ブログの新しい意味づけができたところで、この記事は閉じられます。

 

読んでくださったかた、ありがとうございます。

たわら