【内観が気になる方へ】ヴァージョンアップしたメンタルとその持続について紹介するよ

「さて――」 ネクタイを緩めて、体から熱を逃してから名探偵は推理をはじめた。

 

一週間も内観をするとどんな精神状態になるのか、どれくらい内観の効果が持続するのかって気になりますよね。今回は僕が2017年8月に行った内観の効果を、個人的体験にもとづいて紹介します。

どんなふうに心のあり方に良い影響をあたえるのか、内観するとものの見方がどう変化するのか、はたまたその効果はすぐになくなるのか、などなど、内観について興味がある人はぜひ読んでください。

※内観とは簡単にいえば、ある一定期間のある特定の人物について記憶を掘り起こすこと。

内観? なにそれ、気になるな、という方はこちらの記事から読んでみてください。

僕の素敵な内観レポート①

内観のすばらしい効果

どんな小さなことにも感謝し、あらゆるものに支えられている、と心から思える

内観を一生懸命おこなうと、どんな小さなことにも感謝を見出すことができます。そして、自分はいついかなるときも誰かに支えられていたと信じることができます。どうしてそんなふうに思えるのでしょう。

内観が深まると、過去において、どれだけ母や父などお世話になった人に愛情を注がれていたかを思い知ります。と同時に、与えられた愛情に対して、それ相当の恩返しができていないことがわかります。それどころか、どれほどの迷惑をかけていたか、を思い起こすことで、自分のいたらなさに打ちひしがれます。内観が深まれば深まるほど、記憶の中に愛情を見つけることができます。

あれも母親からの愛情だったのに見過ごしていた、父のあの言葉も深い愛情をもって向けられていたんだ、など小さな出来事、ささいな出来事にも感謝の念を持てるようになります。どんなときだって、誰かが自分のことを思い愛情をかけて、支えてくれていたんだ、と。

母のLINE、通行人、地下鉄の案内に感謝

例えば、たわらは内観が終わり預けていた携帯に母からのLINEメッセージが入っているのを見て、とても感動してしまった。母親は僕のことを心配している、ただそれだけのことに深い愛情を感じ、感謝しました。この世に自分を心配してくれている人がいる。その人にこれまで与えられた愛情を返す機会に自分が恵まれているんだと感動したのです。

また、内観研修所を出て一週間ぶりに他人を見たときにも不思議な気持ちになりました。これは大げさに聞こえるかもしれませんが、通行人を見て、親切の塊が歩いている、と素直に思いました。ええ、自分でも頭が変になったのかと思いますが、ほんとのことです。

あの人もこの人も、誰かに愛情を注がれて支えられている。そしてどこかに向かい、誰かに会って、親切な行為で、恩返しをしているんだと思えたからです。誰かが誰かに恩返しをしている世界、そんなふうに現実を捉えることができたのです。

正直にいえば、地下鉄の道案内にも心動かされました。製作者が誰も道に迷わないようにと親切心を抱きながら、時間をかけて働いていただいたおかげで、今たわらは迷わず歩けるのだから。僕らはいつも誰かの親切心に助けられています。

戦争、突発的殺人事件、天変地異、待機児童、原発など社会問題ばかりだけれど、この世界にも美しい側面はあるのだと、心の底からあたたかい気持ちが湧き上がります。

そして、自立を決意します。これからは自分で自分の世話をして、少しずつでも、しかし確実に恩返しをしようと思えます。自立、それが内観の到達点ともいえます。

 

内観の効果の持続について

僕の場合、その精神状態は、残念ながら3ヶ月くらいほどしか続きませんでした。ただ、内観の効果がまったくなくなったわけではありません。いまでも道を人型の親切心が歩いていると驚愕した感覚や、内観が深まり大いなる存在に触れたことも思い出します。

大いなる存在(?)が気になったかたはこちらの記事をおすすめします。

僕の素敵な内観レポート⑤~連鎖と素粒子と光~

苦手だった人間関係も、行動の裏にひそむ愛情を見出すことができるようになり、気持ちがだいぶ楽になりました。ただ、いざ日常に戻れば、毎日満員電車に揺られながら通勤しなければならないし、人間関係もまったくストレスがなくなるわけではありません。

少しずつ、少しずつ人に感謝できる機会を見逃すようになってしまいます。内観直後であれば、行動の裏にある親切心を推し量り、感受できたはずなのですが、うまくいかなくなり言葉の表面だけ理解し、心を動揺させて、悪い方向へ疲弊しはじめてしまいました。

これには原因があります。きっと驚かれる人もいるかもしれませんが、一週間続けて内観するというのは、集中内観と呼ばれ、内観という行為のスタートラインに立っただけなのです。7日間、朝5時から夜9時まで内観して、やっと出発点なのです。

集中内観の次は日常内観です。日常内観こそが内観なのです。これを毎日つづけなかったので、内観で得られる効果を十分に発揮し続けられませんでした。

それでも内観をした価値はあったと確信しています。一度でも他人や世界にあの穏やかな感情を味わったことある人生とそうでないのは天と地ほどの差があると僕は考えるからです。

では、日常内観とは? 長くなったので別の記事にまとめます。

 

読んでくださったかた、最後までどうもありがとうございます。

 

たわら