【安冨歩「ドラッカーと論語】「フィードバックのある学習回路」を開いて、自分を改め続けることが大切

こんにちは、たわらです。

安富歩「ドラッカーと論語」(2014 東洋経済新報社)ではドラッカーと孔子という時代も場所も違う知の巨人を、同じ地平の上で対話させるという大きな試みがなされています。

ふたりの思想を細部まで読み解き、ドラッカーと孔子が組織や人間のあり方について同じ重要な指摘をしている、ということを示しています。

本記事では、「生きていくためには、フィードバックのある学習回路を適切に作動させることが必要」だということを紹介します。

そして、この考えは村上春樹とも響き合うところがあるのではないかと思います。

孔子とドラッカーの歴史的背景の共通点としての社会変化

孔子とドラッカーは、ある共通した社会変化の時代を過ごしました。

孔子は、小さな地方国家群の崩壊から官僚的組織・軍隊による統一国家という莫大な組織が編成される時代(漫画「キングダム」らへん?)のなかで、適切な組織とその人間のあり方を模索しました。

安富は孔子がそのような模索にいたった理由について、人間的な直接の暴力から、人間性の欠如したシステマティックな暴力を直観していたから、と述べています。

一方、ドラッカーは、ナチスの全体主義的な組織が台頭するなかにあって、全体主義を防ぎ回避する組織や人間のあり方を模索したのです。
(ドラッカーは記者としてヒトラーなどにインタビューをしている!)

つまり、両者は社会における組織の暴力を回避するために、組織のあり方、その組織を運営する人間のあり方について思想を深めたのです。

「フィードバックのある学習回路」こそが大切

安富はドラッカーのマネジメント思想を次のたった三行にまとめます。

1 自分の行為のすべてを注意深く観察せよ 
2 人の伝えようとしていることを聞け 
3 自分のあり方を改めよ

pp24

まず自分が何者なのかをまず知る必要があります。それには組織や自分の外界とのコミュニケーションが必要です。

つまり、社会に馴染めないとか、合わない、とかの理由をでっちあげて外界との関係性を断ち切ってはいけないのです。

ドラッカーの用語ではこれが、マーケティングに当たります。

次に、そのコミュニケーションから相手の伝えようとしていることを耳を傾けます。組織や自分が、相手との関係性で、どのような位置にあり、 何ができて、何が求められているのか、の知識をフィードバックをして、自らのあり方を改善していくのです。

ドラッカーの用語ではこれが、イノベーションに当たります。
 
そしてこのマーケティングとイノベーションの過程の調和を保つことをマネジメントなのです。孔子の言葉で「仁」と呼ばれます。

人間の「フィードバックのある学習回路」が破壊されると社会が暴走する

孔子とドラッカーが「フィードバックのある学習回路」を作動させ、自らを改善していくことを重要視した理由は、この作動が壊れてしまうと、システムの暴走がはじまるきっかけになり、全体主義へ陥ってしまうからです。

マネジメントを、人間を組織に適合させて使うための管理手法と錯誤してしまうことから、全体主義への暴走が始まる。組織をうまく機能させるため、命令系統を整備する。巨大組織を統制するため様々な規格を統一し、同じ目標に向かって邁進させるため、同じ価値観を抱かせる。そのような組織の構築だけに目を奪われすぎることで、結果として、自らを束縛し、そこにいる人間の「学習」を阻害するような環境をつくってしまう。そういう失敗が多々ある。たとえばそれは今の日本社会では”大企業病”などという言葉で表現されるが、それは全体主義への道にほかならない。

そのような「組織の罠」に陥らないためには、君子が必要である。学習回路を開き、「過ちを真摯に認め、すぐに改める」という「仁」を貫き、 組織のあり方を修正し続ける「君子」がいる。それが優れたマネージャーである。

pp151

つまり、環境の変化に応じて自らを変化させるのではなく、予め決まったルールに固執することで、どんどん悪い方向へ言ってしまうのです。誰もストップすることができない

個々人の学習機能の作動が停止し、学習機能の停止した組織が増えると、社会システムが暴走してしまう危険があるのです。

「フィードバックのある学習回路」が停止した組織の例としてのオウム真理教

フィードバックのある学習回路が停止した組織の例として、オウム真理教をあげることができます。

村上春樹は、オウム真理教の被害者・加害者の内面を追った著書のなかで、オウム真理教が提供する世界観(ルールの集まり)に 閉じこもってしまう危険性を指摘しています。

(閉鎖的サーキット、みたいな言葉をどこかで使っていた気がするのですが、、、見つからない)

これは自らが扱うべき「フィードバックのある学習」機能の権限を他者に完全に渡してしまうことになります。

環境に合わせて変化しようとしない様子は例えば次のような感じです。心理学者・河合隼雄との対談での村上春樹の言葉。

たとえば上祐という人がいますね。この人は非常に巧妙なレトリックを駆使して論陣を張るわけだけれど、彼が言っているのはひとつの限定された箱の中だけで通用する言葉であり理屈なんです。その先にまではまったく行かない。だから当然ながら人の心にまではまったく行かない。だから当然ながら人の心には届かない。でもそのぶん単純で、強固で、完結しているんです。

「約束された場所で」村上春樹(2001)文春文庫 pp296

学習回路が開かれずに、「箱」の内部に閉じこもっている、ということがわかります。

「フィードバックのある学習回路」を作動させるためには

「フィードバックのある学習回路」を個々人が適切に作動させることで、全体主義を回避でき、社会を秩序化することができるのですが、 どうやればよいのでしょうか。

これは現時点の仮説ですが、安富さんの他の著作や活動から考えると、「フィードバックのある学習回路」が適切に作動しているものと コミュニケーションする、ということなのかなと思います。

子供、馬、自然などが挙げられます。

子供は、自らの学習回路を世界に開くことでめきめき成長します。

安富さんは、孔子も馬から論語の思想を導いた、とどこかの著書で書いていた気がするので、たぶん馬には学習回路を開く何かがあるのだと思います。

自然や里山は、水、空気などが循環しているので、そこに同期する、という感じでしょうか。このあたりは見田宗介に共鳴するところがありそう。

他の思想とのつながりがありそう

「フィードバックのある学習」こそが生きることであり、社会を秩序化する、という考えは、個人的には、いろんな思想や物語を整理する軸になると思っています。

他者へのコミュニケーションという観点では、自然や現在という瞬間との交感の感受性について議論している見田宗介にもつながります。

また、これもどこかで安富さんが、悪とはこの学習回路を破壊するものだ、と定義していたので、この観点で中村文則や南直哉を読むと新しい発見がありそうです。

しかし、、、

とりあえず今回はこのあたりで終わります。
読んでくださったかた、どうもありがとうございます。

たわら