【高見順】詩を読んで、祈りの姿を考えよう【死の淵より】

こんにちは、たわら(@Whale_circus)です。

詩を読んでいますか? 

詩ってどうやったら読んだらいいのかわかりませんよね。

詩を読んでどのように感じたら、詩を読んでいることになるのか、そんなことを考え出すと、自分がなぜそんなことを考えているのか、を考えるようになって、もっと身近なこと、例えば好きな女の子だったり、株価だったり、今晩の献立とか、を考えてしまいます。

ぼくも最近読み始めたのですが、詩、いいですよ。どうやって読むか?

パラパラ読んでいると、いきなりぐっとくる言葉に出会います。詩が、言葉が、僕をつかまえるのです。僕の知らないところの、きっと大事なところに触れるのです。

だから、こちらから詩のよいところを探すことはしません。広い野っ原に倒れて、青い空を見上げて、深呼吸するように読むのです。

で、ぐっときた詩を紹介します。

祈りについてです。

庭で(一)

     一
     草の実
小さな祈りが葉のかげで実っている

     二
     祈り
それは宝石のように小さな函にしまえる 小さな心に
 もしまえる

     三
     カエデの赤い芽
空をめざす小さな赤い手の群 祈りと知らない祈りの
 姿は美しい

高見順「死の淵より」2013 講談社文芸文庫 pp92-93

庭の光景から詩をつくったようだ。僕の心にふれたのは次のフレーズ。

祈りと知らない祈りの姿は美しい

真実を告げている言葉だ、と思う。説明しろと言われても正直むずかしい。いくつか浮かんだイメージをふたつ紹介する。

一つ目。

大切なひとが何かを、例えば自分自身を乗り越えようとしているとき、安易に手を貸すべきではないし、がんばってなんて軽い言葉は口にしないだろう。

大切な人に何もできない、いやそばにいることはできる。

そんなふうに佇んでいる人をみるとき、僕はきっと思う。

「ああ、この人は祈ってるんだな、と。でも祈っているなんて自覚はない。だから美しいんだ」と。

二つ目。

また、小説を書いているとき、物語を進めるために、物語を進める何かの登場をじっと待っているときがある。あれは祈っていたのかもしれない。

寝る前に詩を読んでいます、と同僚、友人、恋人に言いましょう。きっと変な目で見られるでしょうが、今回はそういう人生だと割り切りましょう。

読んでくださったかた、ありがとうございます。

たわら