【望ましい方へ向かっている、それを感覚すること】村上春樹に学ぶ「毎日小説を執筆する方法とその効用」

「さて――」不服とはいえ報酬のためだ、と割り切り、野暮ったく頭をボリボリと書きながら名探偵は腰を上げた。

こんにちは、たわら(@Whale_circus)です。

小説家・村上春樹が来る日も来る日も一定量の文章を書くことで、長編小説を執筆しているのをご存知の方もいると思います。今回は「なぜ毎日書くことがよいのか」、それを探ります。

ちなみに僕も毎朝小説を書いています。

1 村上春樹に学ぶ継続的執筆

レイモンド・チャンドラー方式:毎日デスクに座る

村上春樹はロング・グッドバイで有名なレイモンド・チャンドラーの執筆方法をならっています。毎日同じデスクに座って、同じ時間を過ごす。それがチャンドラー方式です。

まずデスクを決めます。そして執筆に必要なものをそろえておきます。ここまではわりに簡単です。

そして毎日ある時間を――たとえば二時間なら二時間を――そのデスクの前に座って過ごすわけである。それでその二時間にすらすらと文章が書けたなら、何の問題もない。しかしそううまくはいかないから、まったく何も書けない日だってある。書きたいのにどうしてもうまく書けなくて嫌にになって放り出すということもあるし、そもそも文章なんて全然書きたくないということもある。あるいは今日は何も書かない方がいいな、と直観が教える日もある(ごく稀にではあるけれど、ある)。そういう時にはどうすればいいか?

たとえ一行も書けないにしても、とにかくそのデスクの前に座りなさない、とチャンドラーは言う。とにかくそのデスクの前で、二時間じっとしていなさい、と。

村上春樹 「村上朝日堂 はいほー!」 1992 新潮文庫 pp40

チャンドラーによれば、「たとえその時は一行も書けないにせよ、必ずいつかまた文章が書けるサイクルがまわってくる、あせって余計なことをしても何も得るものはない」そうです。要するに毎日書いていれば、いい日も悪い日もあるけれど、そのうちなんとかなる、という前向きな姿勢をとるべきだ、と教えてくれているのです。

村上春樹はこのチャンドラー方式を実践し、オリジナルのスタイルを身に着けています。

 

2 村上春樹方式:毎日4~5時間・4,000字

彼の長編小説には素晴らしいものがたくさんあります。皆さんはどれが好きですか? 「海辺のカフカ」、「ダンス・ダンス・ダンス」、「ねじまき鳥クロニクル」、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」、「1Q84」。そのどれにも思い出のシーンがあります。

これらの長編小説は村上春樹が長年作り上げてきたシステムにのっとって生み出されてきました。具体的に見ていきましょう。チャンドラー方式が独自の進化を遂げています。

長編小説を書く場合、一日に四百字詰原稿用紙にして、十枚見当で原稿を書いていくことをルールとしています。僕のマックの画面でいうと、だいたい二画面半ということになりますが、昔からの習慣で四百字詰で計算します。もっと書きたくても十枚くらいでやめておくし、今日は今ひとつ乗らないなと思っても、なんとかがんばって十枚は書きます。なぜなら長い仕事をするときには、規則性が大切な意味を持ってくるからです。書けるときは勢いでたくさん書いちゃう、書けないときは休むというのでは、規則性は生まれません。だからタイム・カードを押すみたいに、一日ほぼきっかり十枚書きます。

村上春樹 「職業としての小説家」 2016 新潮文庫 pp154

単純計算で、400字×10枚で4,000字です。そして1ヶ月で300枚(120,000字)、半年で1,800枚(720,000字)です。「海辺のカフカ」は第一校が約180枚だったそうです。継続は力なり、です。

初稿を書き上げるまでの時間、書き直しの時間、第三者の意見に耳を貸す時間、さまざまな時間が非常に大切だと村上春樹は続けます。

そしてそのような作業ひとつひとつにかけられた時間のクォリティーは必ず作品の「納得性」となって現れてきます。目には見えないかもしれないけど、そこには歴然とした違いが生まれます。

村上春樹 「職業としての小説家」 2016 新潮文庫 pp170

ここでは、スランプに陥らないというチャンドラー方式からの進化が見られます。つまり、作品を書き続けられる、という効用に加えて、そのクォリティーにも影響を与える、といううまみを継続性に見出しているのです。

他の作家も同じことを別の角度から違う表現で述べています。

 

2 脚本を書くための101の習慣

小説と脚本は違う成り立ちのものです。そもそも目的地が違います。文章と映像。それでも、物語を書く、という点は共通しています。脚本家も書かなければいけません。

私は朝から始めて一日中書きます。成功する脚本家は”神様”が降りてきて魔法で自分を満たしてくれるのなんか待ちませんよ。天才なら別ですけどね、私は天才じゃない。頭は悪くないし、才能も少しはあるでしょう。でも何より諦めが悪いのが私です。ちょっとやそっとじゃへこたれませんよ。大学時代に一番優れた文章を書いたのは私じゃなかった。でも今だに書き続けている。それが私です

アキヴァ・ゴールズマン 「脚本を書くための101の習慣~創作の神様との付き合い方~」 カール・イグレシアス=著 島内哲朗=訳 2012 フィルムアート社 pp137-138

(アキヴァ・ゴールズマンは「依頼人」、「ミスターアンドミセススミス」「ダ・ヴィンチ・コード」などの有名脚本家です)

僕も天才じゃない。頭はそれほど切れるわけではないし、才能がゼロよりちょっとあるくらいです(願わくば)。でも書き続けることは誰にだってできます。書き続けることが何よりも大切だとわかります。

 

3 記憶の中の小説家

夫と子供を見送ってから

最後に、僕の記憶の中の小説家を紹介します。彼女の名前はわかりませんし、代表作も思い出せません。おそらくその小説すら読んでないでしょう。それでも彼女のインタビューが頭の記憶の中でしかるべき位置を占めています。

彼女は小説家でありながら、公務員で子育て中のママさんでした。夫の弁当をつくり、子供を保育園に送る準備をします。ただ保育園に連れて行くのは、通勤の途中なのでしょう、夫の役割でした。

そして、その小説家は、子供と手をつないだ夫を見送ってから、自分の出発時刻の間の10分で小説を書いていたのです

小説家というのはこういう人間なんだ、と当時中学生か高校生だった僕は素直に思いました。

 

望ましい方へ向かっているという感覚

かくいう僕も毎日小説を書いています。その日に書いた字数をツイートしています。毎朝出社に向けたすべての準備を終えて、出発するまでの間の時間で小説をちょっとずつ進めています。

作品に毎日関わることで、書けなくなることを防ぐ、という効用があることは先に述べました。僕にもそれはあてはまります。ただ、クォリティーの保証も正直僕のレベルではたいしたことはないでしょう。

僕が思うに、毎日書くという行為の素晴らしさとは「望ましい方角へ進んでいる」という感覚を得ることにあります。一文字でも書けば、昨日よりも目的地に近づいているはずです。

高校生の頃、水泳大会のために潜水を練習していたことがあります。息が続かず、「あと少し、後少し」と念じながら泳いでも5メートルが限界でした。練習を重ねているうちに、ひとつの天啓を得ました。「少しでも前に進んでいる」という感覚に焦点を当てたのです。そうすると、体から不必要な力が抜けて、25メートル以上も潜水で泳ぐことができるようになったのです。しまいには、市民プールの監視員に咎められるほど長いあいだできるようになりました。

「進んでいること」それを感覚することが、物事をなす、そういうときには求められるのです。だから毎日書く必要があります。昨日よりは夢に近づいている。毎日やればいつかうまくなる。一生じゃ足りないかもしれませんが。そのときはそのときです。

読んでくださったかた、ありがとうございます。

たわら