【小説塾全6回コース・第1回講評】小説として機能していない

「今回のような作品は、無計画に、誰でも書けてしまう典型的なものだとして、以後は封印して下さい」

さて、1月から受講している薄井ゆうじ氏の「小説塾・6回課題コース」の第1回課題への講評が返ってきた。

メールで提出して、郵便で返送されるまでに3日くらいだった。はやい!

相変わらず講評はわかりやすく、言葉ひとつひとつが、明確な役割を担っている。いっさいの無駄がないが、ぬくもりのある文章だ。

こちらで、小説が読めます。

https://note.com/kentarotawara/n/n5c5e0ff7b7ef

課題の内容を、簡潔にまとめると、

「不思議な短編小説を400字詰原稿10枚以内で提出する」こと。

僕が提出した小説(?)は次の通り。タイトルは『鏡面で踊る男』


サラリーマンが、地下鉄の中で、文庫本を立ちながら読んでいる。男は人生の方向性を見失っている。窓に映る隣の女に気付く。同じ文庫本を読んでいる。女は鏡越しに男を見つめ、顔を歪め、不吉な笑顔をつくる。

その視線は男の求めていた記憶を揺さぶる。男はその瞳を覗き込もうと見計らうが、携帯電話が鳴り響いたり、OLのハイヒールが折れたりと、機を逸する。

突然、車内の照明が落ち、「思い出せたのか」と女の口から低い声が聞こえる。車内が揺れる。男の頭上のみ電灯が光る。みっともない格好で男はバランスを崩したとき、窓に映る自分の顔が笑ったのに気付く。男の記憶は蘇る。


小説として機能していない3つの理由

この作品は小説として機能していない、それが講評の内容だった。引用を含める形で紹介します。

意味や理由のない描写が多い

車内でいろいろな出来事が起きるが、そこに意味を見出すことができない。
脈絡のない出来事の羅列で、不思議な話しなど、いくらでも書けてしまう。
だが、理由がないのなら、書く必要はない。書かないことと変わらない。
たとえば、主人公に関わる女は何だったのか、わからない。
 

比喩の多用は滑稽に映る

比喩的表現の多用は作品を駄目にする可能性がある。
例えば、「神殿の宝物を盗もうとする大泥棒のように」、「暗号を解く鍵を探す名探偵のように」などの比喩的表現にチェックを入れられた。
 

読んでよかった、と思える要素がない

 
不思議さに出会ったとき、人はどう反応し、どう心を変化したのか、それがなければ、小説にとって大切な軸が失われてしまう。
主人公がどれだけ変化し、どれだけ成長したか、それが読者を感動させ、あるいは導くのである。
読者を置き去りにして、書き手が気分良く文字を気分良く書き連ねては、小説は生まれない。
 

次回作に向けて

 

今後の方針は「もっと親切に、もっと書き込む」

意味や理由がないわけではない。書き手側にはそれがあった。ただ伝わらなかったのだ。だから書き込みを徹底していこう。

また、比喩的表現の使用は控える。ただ比喩表現を考えるのはとても楽しいので、根絶はしない。

主人公の成長についても、僕にはきちんと意図があった。が、その表現がまったく足りていなかった。もっと親切にもっと書き込む。

僕の、小説を書く能力、物語世界を立ち上げる力には、まだまだ伸びる余地があるのだ。

時間をかけて、力をつけたとき、どんな世界を立ち上げられるのか、とてもワクワクする。

読んでくださった方、ありがとうございます。
 







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