【世界観を見直す】「小論文に学ぶ」に20世紀の知の変動を学ぶ② 【分析原理から統合原理へ】

「さて――」名探偵は推理を披露しながら犯人の出方をうかがった。

こんにちは、ツイッターで小説執筆の文字数を毎日つぶやいている、たわら(@Whale_circus)です。

長尾達也「小論文を学ぶ」は20世紀の知の変動を4つのキーワードとして解説しています。「二元論から一元論」、「分析原理から統合原理へ」、「意識(理性)から言語(構造)へ」、「自我から共同体へ」の4つです。

前回の記事では「二元論から一元論」をみたので、今回は「分析原理から統合原理へ」を近代の知からの変動の特徴の一つとして勉強しようと思います。

知の変動をざっくりとでも頭に入れておくことで、社会問題などを捉える座標軸として利用できます。何度かにわけて記事にしていこうと思います。

【世界観を見直す】「小論文に学ぶ」に20世紀の知の変動を学ぶ

1 分析原理の問題点:部分⇔全体でそれを見落とす

1-1 デカルトの「分析」と「統合」

物事を理解する際に、対象をいったんバラバラにする方法が分析です。わかりにくいことを細切れにし、ひとつひとつ見ていく、というやり方です。そして統合とは個々バラバラになった対象を理解したのち、それを元の現象になるように組み立て直す。分析して統合する、馴染み深い思考方法です。

この思考方法を最初に定式化したのは17世紀の哲学者デカルトです。「我思う故に我あり」という金言で有名な哲学者です。

この「分析して統合する」思考方法は近代科学を生む土壌となりました。つまり世界をいくつかの側面に分けて研究するということです。理学部、工学部、農学部、医学部から社会学部、心理学部、哲学部、文学部、経済学部のように大学が学部を設けているのは、この思考方法をベースにしているからです。

 

1-2 分析的手法の問題点

現代の学問はデカルト的「分析から統合」の思考方法の問題点に直面し、それを乗り越えようと模索しています。

問題点は「全体から部分」、「部分から全体」への移行にあります。移行の際に、何らかの現象や機能が欠落、あるいは発生することに現代の学問が気づいたからです。デカルト的「分析―統合」思考方法では、すべてはレンガの壁のように、バラバラにしたものは組み立てれば元通りになると考えていました。しかし、現代の学問はそう考えないのです。

例えば、生命現象を見ていきましょう。人間の体はいくつかの部位に分けることができます。頭、腕、胴、足などです。残酷な思考実験ですが、人間をそのような部位にバラバラにすることは可能ですが、くっつけてももと通りに活動しません。生命が失われてしまうからです。

次に、人間の集団を考えてみましょう。人間が複数人集まり集団になると、個々のレベルでは存在しなかった集団の規範やルールを作り出し、それに準拠として行動します。また個々のレベルでは良心が存在していたのに、集団になると公共財をただで利用しようとするフリーライダー問題などが生じます。

つまり、部分と全体の移行にあたって失われたり、発生したりする現象をデカルト的「分析―統合」思考方法では捉えることができないのです。

現代の知はこれを乗り越えるためにシステム思考を展開することになります。

 

2 統合原理へ:システム思考の台頭

近代的「分析―統合」思考方法では、バラバラにしたものを組み立てれば元通りになると、安直に信じていました。しかし、部分と全体の移行時に喪失・発生する現象を見落としてしまいます。

そこで、現代の知は「分析―統合」思考様式を乗り越えようと、システム思考という概念を生み出しました。

たとえば人間を考察する際には、心理的側面、家族的側面、職業的側面、社会環境的側面などと分析する従来の方法ではなく、それらさまざまな側面が複雑に相互作用を考慮する方法を採用するのです。個々に着目するのではなく、個々の有機的な機能全体という視点を失わずに対象に向かうのです。

物事を個々に分解するだけではなく、それらの相互作用を視野に入れる。それがシステム思考である、と僕は理解しています。

 

概要については理解できましたが、具体的にどうすればいいのか、についてはさらに勉強して記事にします。

 

読んでくださったかた、ありがとうございます。

たわら