【世界観を見直す】「小論文に学ぶ」に20世紀の知の変動を学ぶ③【意識(理性)から言語(構造)へ】

「さて――」名探偵は記憶に沈み、意識を超えたところで推理をはじめた

ツイッターで小説執筆の文字数を毎日つぶやいている、たわら(@Whale_circus)です。

長尾達也「小論文を学ぶ」は20世紀の知の変動を4つのキーワードとして解説しています。「二元論から一元論」、「分析原理から統合原理へ」、「意識(理性)から言語(構造)へ」、「自我から共同体へ」の4つです。

前回の記事では「分析原理から統合原理へ」をまとめました、今回は「意識(理性)から言語(構造)へ」を学び、近代の知をどのような方向性へと乗り越えようとしているのかを見ていきます。

現代の知の全体像をおぼろげながらも理解することで、あらゆる社会問題に接したときに、とっかかりを得ることができます。知の座標軸を持つことで、社会問題をざっくりとでも布置する能力があれば、不足している部分も明らかになり、前向きに取り組むことができます。

【世界観を見直す】「小論文に学ぶ」に20世紀の知の変動を学ぶ② 【分析原理から統合原理へ】

1 科学の実証性が物心二元論を定着させた

前回は科学の特徴として、「分析―統合」的思考法を学んだ。ものごとをいったんバラバラにして、それぞれを理解してから、組み立て直すことで、現象がわかるという考えのことです。この思考法をベースに科学が生まれました。世界を分割し、その後もとに戻す。

しかしその思考法では、「部分⇔全体」の移行の際に喪失・発生する現象を見落としてしまいます。そこでシステム思考法が生まれました。個々に着目するだけでなく、相互作用を見落とさず、さらに全体的視野を失わない思考法のことです。

科学の特徴にはもう一つ特徴があります。「実証性」です。実験・観察を通して事実を積み重ねることで、物事を理解し、体系知としての理論を作り上げるやり方です。この実証性という特徴が、科学的知見に客観性を持たせました。だれが実験しても同じ結果になることが明らかにされたのです。そして物心二元論の定着を促したのです。人間の意識から独立して、事実をそろえることで、世界を理解しようとしたのです。

世界を意識から独立して客観性をもつ自然として認識するのと同時に、個人的意識もそれにともなって独立しているように捉えるようになったのです。まさに物心二元論です。

近代の学問は独立した客観的な自然と、独立した個人的意識を前提に営まれたのです。

しかし、現代の学問では意識をそれだけで存在するようは考えていません。

 

2  意識は独立しておらず、構造に従属している

意識は独立して存在していない、というふうに現代の学問は考えています。物心二元論を乗り越えようと試みているのです。

言語について考えます。近代の枠組み、つまり物心二元論では、言語は単なる道具としか考えられてはいません。ある独立した個人的意識から別の独立した意識へとメッセージを伝える乗り物(音声・文字)とみなしているのです。言語が違えば乗り物が違う、という風に理解されるのみでした。

しかし近代を乗り越えようと思考する現代の学問では、意識は言語に先立たないと考えられています。つまり、意識があって言語を習得し、道具のように使いこなしているのではないのです。言語という構造がまずあってその後に意識が存在しているのです。

言語論で著名な井筒俊彦はいいます。「日常的世界における人間の意識の働きとは「絶対無分節の「存在」と、それの表面に、コトバの意味を手がかりにして、か細い分節線を引いて事物、つまり存在者を作り出して行く」と。

【試論「意識と本質」】井筒俊彦のいう「絶対無分節の存在」とたわらの不思議体験について・上

言語という構造で絶対無分節的「存在」を限界づけることで、世界が立ち現れていくのです。

卑近な例を持ち出せば、アメリカ人には「肩こり」が存在しないそうです。しかし、「肩こり」の意味を理解させると本当に「肩こり」になってしまうという話があります。意識の枠組みを支えているのは言語という構造なのです。

こうも言い換えることができるでしょう。日本語しか話せない人には日本語が指し示さない現象を意識することはできない、と。

言語という網を通して現実を立ち上げて、それらを意識しているのです。言語が意識に先立っています。

また意識を構造化して、無意識と意識の関係性を追求するフロイトの理論も「意識(理性)から言語(構造)へ」の道を歩んでいます。

つまり、現代の知は意識をそれ自体で独立しているとは認めないし、主観から独立した客観的な自然を考えないのです。

長尾達也は気持ちよく言い切ります。

すべては一定の社会的・歴史的な“構造”のもとでのみ存在しうるにすぎないというのが現代の知の一つの大きな特徴となっているのである。

長尾達也 2001 「小論文を学ぶ」pp54

 

まとめ

すべてが、ある条件の下でのみ存在するということは、可能性に満ち満ちている、と考えることができます。なぜなら条件を変えることで、世界は別の様相として立ち現れるからです。もっと現実を適切に眺めることができる可能性がつねに開かれていると考えることができるということです。

読んでくださったかた、ありがとうございます。

たわら