【生きる技法】自己嫌悪を埋め合わすための自己愛は利己的行動を促し、他人の美点に執着する可能性があるので自愛しよう

「さて――」名探偵は容疑者の動機を想像して普段の行動を予想した。

こんにちは、たわら(@Whale_circus)です。

好きなことをして生きていくには、生産性を常に高い状態で維持することが望ましいです。大好きなことにせっかくのめり込んでいても、睡眠不足やイライラしていたら、アウトプットの質が落ちてしまいます。アクセルを思いっきり踏むことができても、エンジンのメンテナンスを怠っていれば前には進めません。自分を大切にする技術が求められます。

それこそが今回のキーワードである「自愛」です。

今回は安冨歩「生きる技法」から「愛」について学びます。「愛」というとどこかうさん臭さを覚えてしまう方もいるかもしれません。しかしここで述べられる「愛」にはそのようなどろどろとした痴情のもつれのようなものはありませんし、神様が登場するような高尚な話にもなりません。平易な言葉で、ごく当たり前のことを、鋭く対象化しています。

ここで語られる「愛」は、自愛、自己愛、自己嫌悪、利己心、執着などとの関係性の中で把握されます。

【自立とは他者への依存の脱却ではない】安冨歩「生きる技法」の「自立」について

【誰とでも仲良くしてはいけない】安冨歩「生きる技法」から「友達」について考える

1  自愛と自己愛の違い

はやばやと愛についての定義がなされます。とても大切なものだと安冨は指摘します。

愛は自愛から発し、執着は自己愛から生じる

「生きる技法」安冨歩 2011 青灯社 pp59

自愛とは「自分自身を大切にすること」を指します。ご自愛ください、などという文言でこの言葉に触れることがあると思います。これこそが、愛の正体だというのです。

話はもちろんここで終わりません。これから自らを間違った方法で愛する自己愛についての詳細に分け入ります。自己愛から生じる執着にとらわれてしまうと自分も他者も愛することができないのです。

では自己愛とはなにか。自己愛=ナルシズム=自己陶酔、うぬぼれです。うぬぼれとは自分自身の実像に目を向けないことを指します。

自分はもっとできるはずだと思い込むことは良い結果を生みません。そして結果がよくないときには自分以外の責任にします。あいつのせいでうまくいかなかんだ、のように。そうすると孤立してしまい、残った少数の者に従属することになり、身動きがとれなくなってしまいます。

つまり、自己愛というのは自己嫌悪から生まれる、と安冨は指摘しています

 

2 自己嫌悪はおそろしい

自己嫌悪とは、自分自身を自分自身としてそのまま受け入れることができない状態です。そして自分のあるべき姿を思い描き、自分がそれとズレていることに嫌悪感や罪悪感を抱くのです。

上掲 pp62

このような自己嫌悪は他人から自分とは異なる像を押し付けられていることから生じるのです。親子関係を思い浮かべれば十分でしょう。親は、いたずらする子を指さして子供に問いかけます。〇〇ちゃんはあんなことしないよね、などなど。そして子供はそうあるべきでなければいけないと思い込むのです。そしてそう振る舞うのがデフォルトになってしまうのです。

思い込む、このことを見逃してはいけません。つまり他人からある像を押し付けられているという事実を自ら隠蔽してしまうのです。なんという悲劇!

村上沙耶香「地球人間」も葉真中顕「絶叫」も冒頭にある胸をえぐられるような幼少時代が後の悲劇の引き金となります。

自己嫌悪に陥ると生きるのが辛くなります。理想の像と現実の像との埋めがたいギャップを常に感じ、自分自身を嫌うことになるからです。

その埋め合わせとして自己愛が生まれます。「自分の姿を偽装して自分に押し付けられた像に一致させること」が自己愛です。外見、学歴、会社の知名度、車などに異様にこだわり、そこに誇りを見出すのです。自分の人格とは関係のないものに執着するのです。

自己愛を維持することは大変です。常に不安を感じるからです。偽装を失うことを恐れますし、少しでも傷つけられれば、激情するか、死ぬほど落ち込んでしまいます。

 

3 自己愛者の戦略

押し付けられたあるべき自己像と現実の像とのギャップによる自己嫌悪に苦しまないために、現実の像を偽装します。外見や服装など人格以外のもので自己を偽装するのです。他者の目を通して、これで大丈夫だろう、と判断するのです。偽装が剥がれるのを恐れ常に不安に苛まれる自己愛者は2つの戦略をとります。

1つは利己的になることです。偽装を維持するためには多くの資源と時間とを必要とします。そのためには他人の迷惑を顧みないのです。不安を抑え込むには他人を踏みにじろうとおかまいなしなのです。あるいは自分をもなおざりに扱うのです。

偽装に奉仕するための資源と時間の獲得に奔走するのが利己心である

上掲 pp64

具体例を挙げれば、自説にほころびが見えれば大きな声でその場をやり抜こうとする人や、少しでも気に障ることを言われれば怒ってしまう人でしょう。また目上の人の腹を読み、媚びるように接する人も当てはまるはずです。

どちらも自分を大切にしているとはいえません。

もう一つの戦略は他人の美点に執着することです。あるべき自己像と現実の自分とのギャップにより生じる耐えがたい自己嫌悪を、利己的な行動で偽装するのではなく、他人の美点を取り込むことで埋め合わせしようとするのです。

自己愛を満足させるために、他人の美点に欲情することが、執着である

上掲 pp65

子供やパートナーに、容姿、優しさ、資産、学歴、地位、能力などを求めて、現実の自分の像を押し付けられた理想像に近づける手段とするのです。このマンションでは有名私立幼稚園に入れることが、母親社会では当然なの、みたいなドラマが一昔あったような気がします。

もちろん自己愛だけの人は少数です。だれもが自愛と自己愛の極の間で推移しているのです。

 

4  自愛の獲得の仕方

自愛と自己愛について検討してきました。自愛とはそのまま、自分を大切にすることです。

自己愛とは、押し付けられた理想像と現実の自分とのギャップに自己嫌悪してしまい、その埋め合わせのために生じます。自己愛的人間はギャップの埋め合わせのために、利己的に他人に接したり、他人の美点を自分のものとして所有しようと執着したりします。

では自愛を獲得するにはどのようにすればいいのか? そのためには、

悩むのをやめて、自分が感じていることに眼を向ける

上掲 pp73

ことが求められると安冨は主張します。どういうことか。

赤ん坊は成長してまず家族という集団に属し、やがて学校やら会社やら地域社会という集団に属します。他者との関係性を取り結ぶためには、赤ん坊の外にある文化や規範を学ぶ必要があります。それら「身につけるべきもの」は目標や義務として与えられます。学級目標、企業目標などなど。

もし目標を達成できない場合、自分はダメなやつであると思いこんでしまいます。さらに目標は達成すればするほど際限なく高くなります。あっちよりこっちの私立高校、あっちよりこっちの大学、あっちよりこっちの会社、今年度より来年度の売上などなど。こうして、目標未達や義務の不履行になると、自己嫌悪が積み重なってしまい。自己肯定感が低くなってしまい、望ましくない現象がさまざま発生してしまいます。

問題は、これらの目標や義務が、他者から与えられているということです。つまり、主体的に目標をたてて行動すれば自己嫌悪にはならないのです。「自分に必要なものを、自分にふさわしい速度で、自分なりのやり方で身につけることができるなら、自己嫌悪抜きの成長が可能となります(pp71)」。

そのためには、「自分が帯びているものを、ひとつひとつ確認し、そのなかで本当に必要なものは何か、必要でないものは何かを、日々の生活のなかで見極めること(pp71)」が求められるのです。その過程で自己嫌悪している自分に自己嫌悪してはいけません。負のスパイラルです。

必要なのは自己分析など反省することではないのです。ただ自分が感じることに眼を向けるのです。

 

まとめ

愛とは自愛から生まれるのです。似ているけど全く違うものが自己愛です。自己愛は自己嫌悪から生じます。押し付けられて、知らず知らずのうちに内面化した理想像と現実とのギャップに自己嫌悪し、その辛さから逃れるために、自己を偽装するのが自己愛です。偽装のために利己的に振る舞い、あるいは他人の美点を独占しようと執着するのが、自己愛が深い人の特徴です。自己愛が深いと偽装がばれたり、所有している美点が失われたりと、常に不安と隣り合わせです。

このような自己愛ではなく自愛にいたる道は自己嫌悪から脱することです。そのためには、自分が主体的に行動する必要があります。何が自分に必要か、そうでないかを見極めるのです。過度な反省は自分を感じることを妨げてしまいます。ただ自らを感じるのです。

それにしても自己嫌悪は諸悪の根源ですね。気をつけよっと。

読んでくださったかた、ありがとうございます。

たわら