【世界観を見直す】物心二元論から生まれる自我中心主義、自民族中心主義、普遍主義、国家主義

「さて――」名探偵は事件関係者の背後に共通点を見つけた。

こんにちは、たわら(@Whale_circus)です。ツイッターで小説執筆の文字数を毎日つぶやいています。

現代の社会問題は近代の知の帰結としてみなすことができます。それらに対処すべく頭を働かせるには近代の知がどのように営まれてきたかを理解する必要があります。社会問題にいたった思考方法を洗い出すことによって解決の道筋の探さなければ、対症療法に過ぎず、問題は別の形で出現してしまいます。

近代の知を現代の知がどのように変容しているか、を長尾達也は著書「小論文に学ぶ」にて4つのキーワードで解説しています。「二元論から一元論」、「分析原理から統合原理へ」、「意識(理性)から言語(構造)へ」、「自我から共同体へ」の4つです。それらはそれぞれ記事にまとめました。

【世界観を見直す】「小論文に学ぶ」に20世紀の知の変動を学ぶ

今回の記事から近代の知をさらに理解するために全体像に迫ります。「小論文に学ぶ」にてユニークなのは、近代の知のマトリックスとしてわかりやすくまとめている点です。①二元性、②分析性、③合理性という軸と①世界観・自然観、②人間観・社会観、③学問方法論という軸で近代の概念を整理しています。

もちろん知の体系は複雑なので、きれいに9つに分けることは難しいですが、全体像をつかむのにはもってこいです。

今回は二元性についてまとめてみました。

1 二元性×世界観・自然観=物心二元論

1-1 精神と物体という二つの実体

物心二元論はデカルトによって生み出された思考法です。端的に説明すると、この世界は精神と物体という二つの独立した実体によって構成されている、という考え方です。

実体とはsubstanceを日本語訳した哲学用語です。実体とは、現前に立ち上がる世界の根底に存在するものです。例えば僕の理解では、心配したり、想像したり、思考したりする心の働きは根底にある精神から派生したものであり、同様に現前するはさみ、えんぴつ、山、犬などの根底には物体という本体が存在している、と考える方法です。

この思考法が様々な問題を引き起こす元凶である、と著者は繰り返し指摘しています。

 

1-2  精神→主観、物体→客観

17~18世紀に、物心二元論と主観・客観図式が世界観としてスタンダードになりました。物心二元論を背景に、主観・客観図式が生まれるのは理解が簡単です。精神と物体という2つの本体から派生した世界を、精神の分野を主観と呼び、物体の分野を客観と呼んだのです。そして物心二元論と主観・客観図式は科学を生み出したのです。

客観は主観と独立して存在しており、独自の法則によって貫かれているという考え方は客観主義や普遍主義につながります。さらに事実を積み重ねて事象を明らかにする実証主義が生まれたのです。

物心二元論⇔主観・客観図式 ▶ 科学(客観性・普遍性・実証性)

 

1-3 物心二元論の問題点

物心二元論の問題点は、事象を分断する思考方法により、一方に優位性を持たし、その根拠として普遍性を持たせることにより、一方が他方を支配するような発想にたどり着く点にあります。

この問題は自我中心主義、自民族中心主義、中心-周辺化といった思考の原点なのです。

 

2  二元性×人間観=自我中心主義

2-1 精神の優位性の確立

デカルトは世界を二つの実体から成り立っているという考えをもちました。精神と物体です。精神には思惟という考えて思考する属性があり、物体には空間内に広がっているという延長という属性があるとデカルトは結論づけました。

この考えによって、精神性のない物体世界はただの機械のように捉えられるようになりました。意志をもち思考する精神を持つ人間と大きな機械である自然という図式によって、人間は世界を操作・管理できるという態度を持つにいたったのです。

 

2-2 精神の優位性→自我中心主義

精神を持つ人間は機械である自然の上に立ちました。そしてその精神が意味するところは、自分自身の精神のことを指します。つまり自分以外の他者一般には精神なるものを、想定はできるが、保証はできないと考えます。

このような思考展開が、世界の中心はこの「精神」をもつ自分自身だ、という自我中心主義を生みだしたのです。他者も自然も、「私」の支配下にある、と。カタカナで言えば、エゴセントリズムです。

他者もこの「精神」をもつ「私」の支配下にある、といってもすぐには納得できないでしょう。他者を想う気持ちがないわけがありませんから。

しかし他者を想う「寛容」、「憐憫」、「共感」が重要視されるのは、自我中心主義の登場と時期を同じくしています。つまり自我中心主義の裏返しにすぎないと著者はいいます。自我が他者を想うという条件のもとでのみ他者は思いやりを向けられのです。

 

2-3  自我中心主義→自民族中心主義などさまざまな中心主義

自我の優位性を前提にしている自我中心主義はさまざまなレベルの中心主義につながります。自民族に優位性をもたせれば自民族中心主義(エスノセントリズム)、男性に優位性をもたせれば男性中心主義、自国に優位性をもたせれば自国中心主義、帝国主義、ナショナリズムに展開していくのです。

著者はここで社会契約説にも触れます。社会契約説とは、人間が自我中心主義であることを前提として展開にされているのです。だから「みんなが自分勝手に行動したら怖い社会になるから、みんなとりあえず社会的行動(他者との関係をもつ行動)に出る前に自分の意思を棚上げしよう」という契約を結んだことにしているのだと。乗り越えるべき自我中心主義を前提とした社会契約思想は教養として教科書にのっているほど社会に根付いているのです。

 

3  二元性×学問方法論=普遍主義

3-1 客観性、普遍性、必然性

物心二元論は世界を精神と物体の二つに分けました。そして思考する精神と、精神のない大きな機械に過ぎない自然という構図を展開しました。

つまり自然を相手にするときには、機械を相手にするように、いつでも誰でも同じような結果が得られる、というように考えるので、自然を記述する際には、客観的で、普遍的で、必然的であるように求められます。

一方で思考する精神は、裏返すように、主観性、相対性、偶然性を前提にするようになったのです。

 

3-2 世界と隔てられてしまった精神

精神と自然を分断する思考は、人間と自然のつながりを分断することになります。古代や中世では二つの世界は一つでした。例えば錬金術は、外的世界の変化が内的世界の変化を必然的に引き起こすと考えられていました。鉄が金に変われば、心が浄化される、のように。

もちろん科学の力によって呪術的な思考から抜け出すことによるメリットの享受はあったはずです。しかしそれまで信じられていた人間の宇宙・自然とのつながりを分断したことも確かなのです。つまり、近代人は孤独になったとも言えるのです。

信仰を共同体や自然に見出していた人間は近代化する過程で、自分自身の精神の内部で自分自身を支えなければならなくなったのです。それを上手く持てないとひきこもりなどになってしまう可能性が示唆されます。

 

3-3 普遍主義→ナショナリズム

現在の国民国家も普遍主義を土壌に生まれたと筆者は歴史をひもときます。

18世紀に国民国家が生まれる以前には、多様な地域社会がモザイク状に点在する社会だったが、近代になって、異なる民族なのに同じ国民であるかのように想像する国民国家概念に強制的に統一されました。

ベネディクト・アンダーソンは国民国家を「想像の共同体」といいます。国民国家とは、このように文化の異なる集団を「国民」の名のもとに統一し、そのような民族が以前から存在していたかのように想像されたものにすぎないのだということです。

世界に浸透しはじめていた資本主義と自我中心主義があわさったときに国民国家が生まれたとも解説しています。他国より強い国民国家にならねばならぬと考えて、自然発生的な共同体を人為的な国民国家へと組み込んでいったのでしょう。ナショナリズム(国家主義)の誕生です。黒船という驚異に触れて日本国が生まれたのもこのような仕組みだったのかとたわらは思考します。

国家主義とは、二つの普遍主義の背景のもとに生まれたのです。地方の文化を無色化し普遍的な国民を作り出しそうとし、自国を普遍的に世界の中心にしようとしたのです。

この国家主義は地球規模の問題を考える際のネックになっているのです。普遍主義を無効化する思考の展開が求められているのです。

 

まとめ

二元論から自我中心主義、自民族中心主義、社会契約思想、近代人の孤独、普遍主義、国家主義などなどと展開された。確かに根源には二元論が横たわっていることがわかりますね。さまざまな知識が整理されていく音がして気持ちいいです。

二元論に陥っていないか考える癖をつけようと思います。

読んでくださったかた、ありがとうございます。

たわら