僕の素敵な内観レポート③内観の質の変化と「ウソと盗み」

過去2回にわたって内観の概要、生活環境、目的についてまとめた。

内観に興味を持った方もいるだろう。今回は、内観の質の変容と「ウソと盗み」というテーマの内観を紹介しよう。

僕の素敵な内観レポート②~生活環境と内観の目的~

深まる内観

内観は3つの質問に関して過去の記憶を見つめなおす。

①していただいたこと②して返したこと③迷惑をかけたこと。まずは小学生高学年のときの母親についてはじめるが、ほぼ思い出せない。というか何を思い出せばいいのかがいまいちつかめない。所長がしばらくしたら来てしまう。何か報告できることはないかと一生懸命に追憶する。

だが絞り出した記憶は色あせて穴だらけ。、、、たしか、、、だったような、、、。①ご飯をつくってもらいました②記憶にないです③大風邪を引いて看病させてしまいました。かのように漠然とした報告しかできない。もっと相手の側に立って思い出して見るようにアドバイスを受ける。

そこで、自分自身について思い出すことを僕は放棄した。追憶の矛先を変えよう。生活環境から思い出すことにした。家、入口、リビング、窓から見える風景から通学路、登校していた友達、友達との会話、その状況など。

努力は報われる。映像がクリアになっていき。ご飯を運んでくれる母親の姿、表情、声掛け、料理などが浮かぶ。そして、子供の頃の視点で記憶を眺めるだけでなく、親の視点から過去の記憶を眺めることができる。

この視点を獲得すると記憶の意味合いが変わってくる。そこに子供の頃に感受できなかった愛情を見出すことができるようになる。例えば、中学生時代に塾の月謝5,000円をなくしたことがあった。両親になぜなくしたのか、どうしてそうなったのかを問いただされた僕はうんざりしていた。

親から渡された5,000円はたしかにになくしたかもしれない、だけどお年玉から持ち出すから何も問題ないじゃないかと、口をとがらせた。そういう問題じゃないの、という母の言葉を耳に入れようとはしなかった。

彼女が与えようとしたのは学習の機会だった、ということが今の僕には親の意図として推測できる。間違いを潔く認め、(それが拙くとも)予防策を自分で考え、約束し、行動に移す、そんな学習の機会を与えてくれていたのだ。

成長の機会というのは、本人にとっては一刻も早く目をそむけたくなるものだ。そうとも知らず、金銭面のみに絞り、解決した気になっていた僕は両親のやさしさを見逃した上に、不遜な態度をしていたのだ。お母さん、学習機会を与えてくれてありがとうございます。冷たい目でにらみつけてごめんなさい。

内観を繰り返すともっとささいな動作や言葉に見逃してしまった大きな愛情を見出すことができる。そして結論にたどり着く。与えられた感情に対して、して返したことなんてちっとも足りない。これからは恩返ししながら生きようと。

母と父への感謝

まず母親に対しての内観をする。小学校低学年、高学年、中学三年間、高校三年間、大学四年間、大学院二年間、社会人一年間、の順番だ。誰がやるにしてもまずは母親だ。母親がいない人はそれに相当する人物だ。

例えば、高校三年間お弁当をつくてくれたこと、学生服のボタンを縫い止めてくれたこと、塾に通わせてくれたこと、転勤が多いなか、友達のいない地域で不満ももらさず育ててくれたこと、それらすべてを当たり前だと思い、感謝をしなかった。

所長曰く、電車の中で、人に座席を譲られたら感謝を示すのに、母親では当たり前かのように座ってしまうのは不思議なことだ。

母親が終わると次は同じように対象を父として内観する。父にしていただきたいたこと、父にしてかえしたこと、父に迷惑をかけたこと、だ。

だが、父に関する内観は簡単ではなかった。父との記憶が欠落していたからだ。思い出せない。彼と僕はどのように時間を過ごしてきたのだろうかと。

ウソと盗み

母→父→母ときて、「ウソと盗み」というテーマで内観をするように指示を受ける。言葉の通り、先の区分の年代において、自分が行ってきたウソと盗みを思い出す。この内観をくぐり抜けることで、僕は大きな影響を受けた。告白しよう。僕は善良な人間だと思い込んでいた。勉強も運動部もサボらなかったし、タバコも吸わなかったし、服装は乱れてはいなかった。校則を守って、先生の望ましい生徒を演じていたはずだと。ただの真面目な一般的な生徒だったと考えていた。ただその記憶を脳みその奥の細胞に隠していただけに過ぎなかったことに気づかせられる。

例えば、小学生低学年の頃、漢字の小テスト中に壁にはられた何かの案内チラシに答えを盗み見た。他にも、友人の家で遊んでいたとき、ポケモンカードを隠して友人の慌てふためく姿を楽しんでいたことなどを思い出す。

小さなことでもウソと盗みには変わらない。自分が他人に迷惑をかけていた事実に気づくと、内観にさらなる色が加わる。つまり、こんなにもあくどい行為をしている自分を気遣い、やさしい愛情をかけていただいてるなんて、なんてありがたいことなんだ、と思うようになる。大げさに言えば、卑劣な自分をどうしてこんなに愛してくれるのだろうか。なんてありがたいんだ、と。

ウソと盗みに対する内観を小学生低学年から現在まで行うと、自分に対する評価が変わる。そしてその状態で、再度父に内観したときに大号泣したのだ。

 

長くなったので、それはまたの機会に。

読んでくださったかた、ありがとうございます。

僕の素敵な内観レポート④~父親への内観で号泣~







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