なぜ、地に足をつけた人間を書けないのだろうか?

「さてーー」雲間から光が差すと、ようやく名探偵は推理を披露した。

 

僕の小説には、地に足をつけている人間が登場しない、と『小説塾』塾長薄井ゆうじ氏に繰り返し指摘されています。

【小説塾全6回コース・第4回講評】なぜわかりにくく書こうとするのでしょうか

この記事では、なぜ小説が地に足を付けていないのか、その原因について思うところをまとめました。

同じように、もっと現実的な小説を書いたほうがいい、と批判されている物書きの卵のかたに(もしいらっしゃれば)、僕の話が役に立てばうれしいです。

不思議な現象がそのまま受け入れられている小説が好き

僕が文学に魅せられたのは、予備校時代に、国語の担当講師に村上春樹(敬称略)を紹介されたからです。それまでは、それほど文学に熱を上げていませんでした。

初めて村上春樹の小説「ねじまき鳥クロニクル」を読んだときは吐き気がしました。事件が解決されないまま物語が終わったからです。こんなのありなのか、と。

驚愕すると同時に、《いまはまだ、汲み取れないけど、この作家の物語には、この世界の真実と、生きるのに有効な術を告げている》との予感がありました。それから受験勉強そっちのけで著作を読み続けたのを思い出します。

羊男、地下世界、猫語がわかるナカタさん、品川猿、リトルピープルなどなど、彼の世界には不思議な存在がたびたび登場し、魅力的な物語が生まれます。

「不思議な存在が物語を豊かにし、不思議な現象こそが現実の隠された事実に光を投げかける」そう思いはじめました。

しかしこの考えの根底には誤りがあった、ということに、薄井ゆうじ塾長に繰り返えされた指摘に気付かされたのです。

 

不思議なだけの話なら誰でも書ける

脈絡のないシーンをつなげて、つながりのあるように見せれば、不思議な物語をつくるのは誰にでもできます。

執筆中に、頭に浮かぶ映像をじっと眺め、いまこのシーンで起こったら面白いことはなんだろう? と思案します。そして物語を豊かにすると直観した出来事を逃さないように、小説を書いていました。その場で飛来したシーンを積み重ねていく、という書き方でした。インプロビゼーションです。

新事実の発見、場面転換、登場人物の秘密、などが思い浮かんで、僕自身も驚きます。そういうことだったのか、と。

物語の結末は作家も知らない、ただ出発点があるだけ。そのような書き方をする作家は少なくありません。村上春樹、レイモンド・カーヴァー、そして薄井ゆうじ塾長などです。

ただ、僕と本物の作家とを大きく隔てるのは、リアリティの有無です。僕がインプロビゼーションで書く話には、地に足をつけた人物が出てきません。つまりリアリティが、ないのです。このシーンでこれが起きたら面白い、と考えるとき、登場人物のリアルな要求が無視されているのです。

 

 大いなる存在を含む物語への道筋

不思議で、意味が明確には理解出来ない物語こそが小説だ、と勝手に思い始めていた僕は、不思議な現象のない小説を、正直に言えば、たいした小説ではないと、見切りをつけていたのです。

未熟で傲慢としかいいようがありません。小説を書いて、周りからすこしだけちやほやされただけで、鼻が高くなっていたのです。なんとも浅はかな人間です。

繰り返し指摘された「地に足をつけた人間を書きなさい」の意味がようやくつかめたのは、あらためて村上春樹の小説を考えたときでした。

村上春樹の小説は不思議な物語の土台に確固たるリアリティがあり、登場人物が自然な欲求にしたがって行動している、と。僕は彼の物語の不思議な部分にだけ焦点を当てていた、と気づいたのです。

つまり僕を惹きつけた不思議な物語の土台には確固たるリアリティがあるのです。リアルな人間の欲求に従って物語が動き出すとき、結果として大いなる存在が宿るのです。そして不思議な現象が自然に展開されます。

ただし、続けて薄井ゆうじ塾長は指摘します。頭で理解しても、実行するのはたいへん難しい、と。書きたいことをしっかり定め、自分自身を厳しく律し、登場人物に注意を払い続けなければ、物語は暴走してしまうからです。

ザ・ハイロウズが『十四歳』でストレートに繰り返すように、これからの僕の小説に必要なのは

リアルより、リアリティ ザ・ハイロウズ『十四歳』

なのです。

リアリティという課題を突破すれば、僕の小説はもっと魅力的になるはずです。ワクワクする反面、ビクビクしています。リアリティが書けないから、空想に逃げていたんじゃないか、と思うからです。

物語を創る行為には、自己治癒の意味合いがあるので、恥ずかしげもなく言えば、魂のヴァージョンアップができるような、そんな予感がしています。

 

読んでくださったかた、ありがとうございます。

 

たわら