【人生への向き合い方】村上龍・カフカ・村上春樹に学ぶ、人生を後悔しない「それ」の追い求める方法

「さて――」親指を鼻頭につけて小指から順番に開き、赤ん坊が微笑むと、名探偵は犯人のアリバイを崩しはじめた。

こんにちは、たわら(@Whale_circus)です。

唐突ですが、人生への向き合い方で悩んだことはありますか?

向き合い方を考え始めているひと、昔からずっと考えているひともいると思います。僕はずっと考え続け、いろんな本を読みました。

そして現在、すこし開けた場所に出られました。

今回は3つの小説から人生への向き合い方を考えていこうと思います。きっと思い悩んでいるひとにとっては役に立つはずです。

人生を後悔せずに生きるためには「それ」を探して、境界線を超える必要があります。そして僕らには武器があります。

1 人生と向き合わなかったことへの後悔 村上龍「コンビニにて」

つきまとう悩み 「正しく生きるには?」

高校生の頃から人生をどうしたら正しく歩めるのか? ということを考えていました。何が正しい人生なのか、それをずっと頭の隅でもやもやと考え続け、やがて頭の中をぐるぐると周り始めて、いつしか手に負えなくなりました。「正しく生きる」にはどうすればよいか、という設問自体が間違っていたのに30歳を手前にして気づきました。

それでも考え続けてよかったと思います。でなければ、小説を書いているいまはありませんから。

自分で考えて「それ」を探せ

村上龍はそれを「探せ」と強烈に伝えます。「見つけない」と人生を後悔することになってしまう、そう村上龍はまっすぐと語ります。胸ぐらをつかまれ、ツバが飛んできそうなくらい、荒々しく。

お前はまだ間に合うから何かを探せ、と兄はぼくに言った。オヤジやオフクロや教師の言うことを信じたらダメだ。あいつらは何も知らない。ずっと家の中とデパートの中と学校の中にいるので、その他の世界で起こっていることを何も知らない。ああいう連中の言うことを黙って聞いていたらおれみたいな人間になってしまう。おれはもう何もする力も残っていないんだ。まだ二十歳なのに何かを探そうという気力が尽きた。でもちょっと遅すぎたがまだ気づいただけましだと思うよ。これでテニスとかスキーの同好会に入ったりして適当に大学を出て、オヤジみたいにデパートとかスーパーに就職したら本当に終わりだった。オウムに入った連中がおれはよくわかるんだ。気力がゼロになると何か支えてくれるものが欲しくなる。何だっていいよ。やっとわかったんだけど、本当の支えになるものは自分自身の考え方しかない。いろんなところに行ったり、いろんな本を読んだり、音楽を聴いたりしないと自分自身の考え方は手に入らない。そういうことをおれは何もやってこなかったし、今から始めようとしてももう遅いんだ。 自分で決めつけるのも変だが、よく戦争映画なんかで自分が死ぬことがわかるやつが出てくるだろう。からだ中から力が抜けて、寒くてたまらなくて、深い穴に吸い込まれるような感じがして、自分がもうすぐ死ぬことがわかるんだけど、あれと同じだよ。

「コンビニにて」 村上龍 「空港にて」 2005 文春文庫 pp22-23

 

自分で考えないと「自分が死ぬ」

はじめて読んだのは大学生の頃でした。自分は何も考えていない大学生になってはいけない。そう思いました。でもどうやったら? すぐにそういう質問が出てしまうような学生でした。「自分で考える」という姿勢を放棄し、誰かにすがろうとしてしまったのです。

「それ」を探さないと、「自分が死ぬ」ような気持ちになってしまいます。そして不本意な就職をしてしまったら本当の終わりだと、語り手は告げます。

実際は転職をして、自分のキャリアを変更する選択肢などありますが、それを知らなかった当時の僕は多いに苦しみました。僕にとって「それ」は何なんだろう、と。

この小説の語り手は二十歳ですが、これを老年期から振り返るとまた違った印象を持ちます。

かの有名な小説家・フランツ・カフカは有名な超短編小説「掟の前で」で「それ」を見つけられなかった老人をわずか文庫本4ページで物語ります。

 

2 人生への向き合い方を間違えると 「掟の前で」カフカ

時間が去ってから気づくほど悲しいことはない

人生に向き合う方法がわからずに、時間を過ごしてしまうとどうなってしまうでしょう。そして「それ」に老人になってから気づくことを想像してみてください。「それ」に気づかなかった、いやもしかしたら、「それ」に気づいていたけど見て見ぬふりをしていたのかもしれません。

掟の前に門番が立っていた。この門番のところに田舎から男がやってきて、掟のなかに入れてくれと頼んだ。だが門番は言った。まだ入れてやるわけにはいかんな。男はじっと考えてから、たずねた。じゃ、後でなら入れてもらえるのかい。「ああ、そうだな」と門番が言った。「でも、いまはだめだ」。

「掟の前で」 フランツ・カフカ 著 丘沢静也 訳 「変身/掟の前で 他2編」 pp152

そして時間は過ぎます。

命はもう長くなかった。死ぬ前、頭のなかで、これまでのすべての時のあらゆる経験が収束して、ひとつの質問となった。これまで門番にしたことのない質問だ。男は門番に手で合図した。硬くなっているからだを起こすことができないからだ。門番は男のほうに身をかがめてやった。からだのサイズが男には不都合なことにすっかり変わってしまっていたのだ。「いまさら、なにを知りたいんだ」と門番がたずねた。「満足するってことを知らないのか」。「みんな、掟のところにやってくるはずなのに」と男が言った。「どうして何年たっても、ここには、あたし以外、誰もやってこなかったんだ」。門番には男がすでに死にかかっていることがわかった。聞こえなくなっている耳に聞こえるように大声でどなった。「ここでは、ほかの誰も入場を許されなかった。この入口はおまえ専門だったからだ。さ、おれは行く。ここを閉めるぞ」

前掲 pp154-155

男はずっと目の前にあった掟の門に入ろうとしますが、屈強な男に止められ、許可を求めてひたすら待ちます。死ぬまで待ちます。そして死の直前になって、自分のための入り口だったことをついに門番に告げられます。

門番はあなた自身?

何を暗示していて、何をカフカは伝えたかったのでしょうか。「それ」に気づくことまでは、広い世界を見聞し、内省に努めれば可能なのでしょう。しかし、追い求める「それ」に身を投じるには、境界線を超える必要があります。「自分にはできないかもしれない」「生活できないかもしれない」「夢より現実みたら」「いい歳して何やってるの」とさまざまな声が、我々に立ちふさがります。まるで門番のように。

あなた専用の入り口なのかもしれないのに。

では、どうやって屈強な門番を横目に境界線を踏み越えればいいのでしょうか。

 

3 境界線の踏み越える方法 村上春樹「かいつぶり」

気づいてみれば簡単な突破方法

屈強な門番が立ちふさがる境界線を踏み越えるのに必要なのはいったい何なのでしょうか。門番をぶちのめす腕力? 彼を論破する研ぎ澄まされた論理? 腹がよじれるほど笑わせる渾身の変顔? 通さざるをえないように親族を人質にとる? 奴を騙しぬく奇術? ハニー・トラップ? 考えればいろいろでますが、どれも不正解でしょう。

ではどうすればいいのでしょうか? 村上春樹の短編を見てみましょう。

あらすじは次のとおりです。内定の出た職場に向かう貧乏な生活にうんざりした男は、デタラメの地図を頼りに職場の入口にたどり着きます。だが合言葉を求められる。そんなことはもらった案内には一文字も書いていなかった。

「とにかく5文字だ」

「水に関係があって、手のひらに入るけれど食べることはできない」

「そのとおり」

「かいつぶり」と僕は言った。

「かいつぶりは食えるよ」

「本当に?」

「たぶんね。美味くはないかもしれないけれど」と彼は自信なげに言った。「それに手のひらには入らないよ」

「見たことある?」

「いや」と彼は言った。

かいつぶり」と僕は言い張った。「手のりかいつぶりはとても不味いから犬も食べない」

「まてよ」と彼は言った。「だいいち合言葉はかいつぶりじゃないんだ」

「でも水に関係があるし、手のひらに入るけど食べることはできない、それに五文字だ」

「あんたの理屈は間違ってる」

「どこが?」

「だって合言葉はかいつぶりじゃないんだから」

「かいつぶり」 村上春樹「カンガルー日和」 1986 講談社文庫 pp182-184

※太字は本文傍点箇所をたわらが加工

そしてすったもんだは続きますが、最後のシーンでは次のようになります。

「しかたないな」と彼は言った。「一応取り次いでみるよ。無理だとは思うけどさ」

「ありがとう。恩にきるよ」と僕は言った。

「でも手のりかいつぶりなんて本当にいるのかい?」

「いるさ」

前掲 pp185

そしてクライマックスです。

その時インタフォンのブザーが鳴った。

「なんだ?」と手のりかいつぶりは機械に向かってどなった。

「お客です」と門番の声がした。

手のりかいつぶりは腕時計を眺めた。「十五分の遅刻」

前掲 pp186

 

不条理を吹き飛ばす意思の力

このちょっと不思議な小説は村上春樹の作品のなかでベスト5に入るくらい好きです。会話だらけだからすぐに読み返すことができます。

ちなみに、かいつぶりはこんな風貌の鳥です。

(Wikipediaより借用)

この小説の肝は、意思の力にあります。主人公は合言葉が「かいつぶり」であると主張します。合言葉に主張もなにもありません。合っているか、そうでないかの二択です。その論理をこの物語は蹴っ飛ばしています。そして、最終シーンでは嘘かホントか、空想の産物である「手のりかいつぶり」が登場します。

主人公は立ちふさがる門番を強引な主張で退け、そして最終的に小説の現実的世界には、彼の主張通りの結末を迎えます。

つまり、人生を後悔しないために「それ」を追い求めるためには、思い込みの力が必要なのです。現実世界を捻じ曲げてしまうほど強固な思い込みです。

 

「それ」の見つけ方

人生を生きる上で「それ」見つけ、追い求めること、それが悔いのない人生を歩むことにつながります「それ」とは自分が好きなことに違いありません。村上龍は「探せ」と訴えます。たくさんの世界を見てまわれ、読書や音楽に触れろ、と。そして心が反応するものを見つけろ、と。

ただ、見つけるだけではまだ足りません。その道を歩むよう行動する必要があります。一歩踏み出すのです。その境界線には門番が立っています。大抵の人にとっては屈強な門番に見えるに違いありません。世間、親、あるいは伝統という形で立ちふさがるかもしれません。立ちすくんでしまうとどうなるのか、それはカフカの「掟の前で」で見てきました。

ではどうやって境界線を向こう側へ超えるのか。村上春樹の小説に見るように、それはもう圧倒的な思い込みの力じゃないでしょうか自分について自分だけが持っている揺るがない自信。「それ」が心から好きだという確信。そしてどんなささいなことでもかまわないから毎日行動することです。なぜなら、あなたを望ましい方向へと突き進ませる、一番の推進力は、「望ましい方向へと向かっている、その感覚」なのですから。そして小説の結末のように、現実を変えることができるはずです。

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たわら