物語を立ち上げることは自己治癒につながる

「さてーー」名探偵は刀を抜くと掛け軸を真っ二つに切り裂き、奥への通路へと進んだ。

 

こんにちは、たわら(@Whale_circus)です。

みなさん物語は好きですか?僕はたまらなく好きです。そして物語が人間を支えるということを信じて疑いません。だから小説家になりたいのです。

 

わたしは小説を読むのが好きじゃないから物語をそれほど必要としてないわ、と思う方もいるかもしれません。しかし物語なしに我々は生きていくことができません。なぜなら、僕らは無意識レベルで物語を生成し続けているからです。

 

少しだけでも物語について考えることができれば、物語を生成する行為を通して自己治癒をしていることがわかります。

 

1 僕らは物語を無意識のうちにつくっている

僕らはあらゆる物語の中に生きています。物語に無関係な人はいません。昨日何してたの? と聞かれればあなたは昨日の物語を語るでしょう。映画を見て、ショッピングして、コーヒーで一服して、夢でもう一度映画を見たよ、なんて感じで。

僕らは物語を毎日生み出して、そして交換しているのです。昨日何してたの? そうなんだ、あたしはね……、と。ひとつの物語がひとつの音だとすれば、あなたも社会も音に包まれています。調和が生まれればハーモニーになりますが、そこにはもちろん不協和音だってあります。

また自己分析に物語は役立ちます。七つの習慣にはミッションステートメントを立てて、北極星のごとく、それを目指して生きることを紹介しています。

その方法は自分の葬式にどんな人が来てほしいか、どんな言葉をかけてほしいか、を考えることで現在から取り組むべきことを見つける作業です。

これも物語を利用しています。物語の最後のシーンを想像することができれば、必然的に、それまでの物語を考えることができるからです。誰と出会い、何を成し遂げた物語なのかを想像するのです。

物語には僕らの周りにあちこちに存在していて、いろんな力を発揮しています。そしてもっとも重要なのは、あなたが理解できないものに立ち向かったときです。そんなとき物語はこれ以上ないくらいの力を発揮するのです。

小川洋子の言葉を借りれば次のようになります。

人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。

「生きるとは、自分の物語をつくること」 小川洋子 河合隼雄 2011 新潮文庫 pp47

何日も何日も雨が降らず餓死寸前の人々はなぜ自分たちがこのような仕打ちを受けるのかを考えたはずです。例えば「神」が我々の悪行を見破ったからだ、だとか、祈りが足りないからだ、と思いつきます。ここに物語が形成されます。現実を納得するための物語です。

遠い昔の人々は「死んだらどうなるのか」について物語をたくさん作ったはずです。地下に眠っているが審判の日に復活する、だとか、海に還っただとか、そのあたりに偏在している、だとかいろいろな物語が生まれたに違いありません。

ここまでのスケールでなくても、失恋したときには、例えば彼と私はこうなる運命だった、次の相手を探すように告げられてる、あるいは、これは試練で相手は私を試しているに違いない、のように物語を創ります。そんなことありませんか?

現実を物語化することで僕たちは生きていけるのです。

 

2 物語は自己治癒につながる

村上春樹はその多くの著作で、物語を書く行為は自己治癒の側面を持つ、と指摘しています。

小説を書くというのは、ここでも述べているように、多くの部分で自己治療的な行為であると僕は思います。「何かのメッセージがあってそれを小説に書く」という方もおられるかもしれないけれど、少なくとも僕の場合はそうではない。僕はむしろ、自分の中にどのようなメッセージがあるのかを探し出すために小説を書いているような気がします。物語を書いている過程で、そのようなメッセージが暗闇のなかからふっと浮かび上がってくる――もっともそれも多くの場合、よくわけのわからない暗号で書かれているわけですが。

「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」 河合隼雄 村上春樹 1999 新潮文庫 pp79-80

人間は無意識に物語をつくっています。その心的作用を意識的に行うことが小説を書く、という行為になります。意識的に物語を立ち上げることは、現実を物語化すると同時に、心が求める形がどのようなものかに立ち会う作業になります。現実と心を物語に落とし込む、そんな境界線で物語は生成されるのです。それは心の形に作用するという意味で、自己治療になるのです。

 

3 誰にだって創造の種がある

 では誰でも物語をつくることができるのか? とあなたは思うかもしれません。無意識レベルではできることを意識的にできるのか、と。河合隼雄はこの問いにYESと答えます。河合隼雄は臨床心理学者です。カウンセリングを通して、心を望ましい方向へと導く仕事に従事していました。心と心のぶつかり合いの現場を、そして人間の再生をわかりやすい語り口で多くの著作を残しています。

確かに、モーツァルトのような人があちこち沢山居るなどということはないだろう。しかし、よかれあしかれ多くの人に影響を及ぼすような創造性でなくとも、これこそ唯一の新しいものだ、というものを創造するということは、すべての人にとって可能であると思う。

「こころの処方箋」 河合隼雄 1998 新潮文庫 pp226

河合は具体的な事例を紹介してくれます。

私のところに相談に来られた人々で、別に私がすすめたわけでもないのに、絵を描いたり、小説、詩、和歌、俳句などをつくったり、音楽をしたり、いろいろな芸術的なことをされるようになった方が多い。本人も自分がそのようなことをするとは思ってもみなかったのに、と自分であきれられることもある。なかには入選したり当選したりする作品もある。

上掲 pp227

簡単には想像できないような辛い経験や不幸を抱えた人々は自然に物語を生み、自らを救います。そしてそれらの中には人を惹き付ける作品もあるのです。

 

たわらも受け入れがたい現実と関わる手段として試しに小説を書きました。その選択は間違っていませんでした。自分の中にはメッセージがある、と確信できたからです。ただそのメッセージはクリアに言語化されず、「クジラのサーカス」として現れました。その暗号を解くためにはまた、小説を書く必要があるように思います。

 

あなたも現実と心の境界線に物語を立ち上げてみませんか?

 

読んでくださったかた、ありがとうございます。

たわら