【感想と収穫】『小説塾』1日セミナー@日本文藝家協会で薄井ゆうじ氏に会った

「さてーー」名探偵は、ロッキングチェアに揺られながら、犯人のアリバイを崩しはじめた。

 

こんにちはたわら(@Whale_circus )です。

 

2018年4月21日に日本文藝家協会で「小説塾」1日セミナーが開催されました。

「小説塾」の「全6回・課題コース」を受講している僕は薄井ゆうじ氏に会いに参加してきました。

薄井ゆうじ氏の小説塾・6回課題コース受講

あれだけの透明な文体を構築し、一切の無駄のない切り詰められた言葉選びを実践する小説家はどんな人なのだろうかと、彼の著作をはじめて読んだときから不思議でした。

なにより人生ではじめて小説家に会う、という事実に心躍ります。日常の生活範囲の境界線をまたぐときはいつでも、心震えます

今回は薄井ゆうじ氏のひととなりと、セミナーを受講の感想を中心にまとめました。3ヶ月も前ですが、、、。

 

1.少年のような大人

会ってすぐに御年69歳の男性にいささか不躾な印象を持ちました。あ、この人、少年のような大人だ、と。すなわち、昔から好きなことを自覚していて、それを純粋に追い求めてきた人間だけが身につけられるだろう(とたわらの短い人生から推測する)雰囲気を身にまとっていたのです。

その道で自分の居場所を切り開いて、自作した椅子に座り、その高みから見える景気を楽しんでいる人です。その背後にはきっと常人じゃ歩き抜けないような道がはるか先まで続いています。

もちろん、こう思った、かっけぇ

そんな印象を抱いた薄井ゆうじ氏は第51回小説現代新人賞を「残像少年」(べらぼうに素敵なはなし)でデビューし、その後さまざまな賞を受賞している。「蠍座カレンダー」が教科書に掲載されたこともあり、小学校などで講演もしているそうだ。

その作風は、これ以上ないくいらいに、正確に配置された言葉が構築する透明な文体に支えられており、神話のような不思議な物語の展開を前に読者は引き込まれてしまいます。

例えば、「樹の上の草魚」は、男性が女性になってゆき、「星の感触」では背が伸び続ける男の話です。ぜひ一読をおすすめします。

ちなみに、薄井ゆうじ氏は高校卒業までに20回以上転校しているみたいです。どこの学校でも図書館で片っ端から読破したそうです。すごいや。

 

2.「新しい書き手へ」大江健三郎

薄井ゆうじ氏はイラストレーターとしての才能もあるようで(多才!)、仲間と会社を起こしたそうです。昔から小説家になりたかったけれど、気づけば数字の管理ばかり。35歳で思い立って仕事を辞めたそうです。

「小説家になる」そう宣言して。かっけぇ。

3年間で賞が取れなければやめる予定だったそうですが、2年8ヶ月で見事受賞して作家生活に入りました。わお。

ただ、受賞までには苦悩もあったそうです。地に足をつけた人間が書けない、と何度も師 都筑道夫氏に指摘されていたようです。

(地に足をつけた人間を書け、、、?僕がこれでもかと指導されたことじゃないか。)

【小説塾全6回コース・第4回講評】なぜわかりにくく書こうとするのでしょうか

小説への向き合い方をガラリと変えたのにはきっかけがあったと薄井氏は語ります。

それはある文芸誌に掲載された大江健三郎のエッセイでした。「新しい書き手へ」と題されたエッセイには建築家 原広司の「集落の教え100」が紹介されています。大江健三郎はそこに、小説の成り立ちについての重要な教えがあると、説いています。集落と小説?? そう、集落と小説なのです。

例えば次ように。

《1〔あらゆる部分〕あらゆる部分を計画せよ。あらゆる部分をデザインせよ。偶然に出来ていそうなスタイル、なにげない風情、自然発生的な見せかけも、計算しつくされたデザインの結果である。》 小説も、この「集落の教え」どおりに、あらゆる細部のイメージ、細部の言葉・語法について、書き手がデザインするものでなくてはならない。

「新しい文学のために」大江健三郎 1988 岩波新書 pp191

頭に思いつくままに書くだけではいけない、ということがよくわかります。登場人物のデザインの仕方については小池一夫氏に学んだ。

【進化の予感】小池一夫のキャラクター論に触れて

これも心動かされます。

《90〔柱〕柱は、世界軸(axis  mundi)であり、言語とものが和解する装置である。直立するものは美しい。》

……

自分のうちにを、世界軸をたてるべくつとめ、自分の言葉が事物・人間・社会・世界と、ついには和解しうることを信ぜよ。新しい書き手として仕事をするきみの、それを根本的態度とせよ。そこに出発点をきざむならば、いかにきみがこれから、言葉とものとの苦しい戦いを経験してゆかねばならないのであるにしても、きみにとって未来への展開はまったく自由なひろがりに向かうはずだし、その自由さには、人間的な根拠があるはずだから……

同 pp208-209 太字は本文の傍点箇所

かっこいい。僕の小説、あるいは僕自身に柱を立てなければいけない。確固たる世界軸を。「小説世界における世界軸は」と薄井氏は語ります。「その小説家が信頼できるかどうかの基準です」 まったくそのとおりだ。

僕はセミナーからの帰宅途中にさっそく大江健三郎の本を購入しました。

また、Amazonで「集落の教え」も買いました。

 

3. 小説家をめざしているのはひとりじゃないという当たり前の事実

受講者は40人ほどで、女性の割合がやや高めだった印象です。受講生のほとんどが、30代から50代だったように思えます。親子での参加者もいました。

ああ、小説書いてる人が僕以外にもいるんだなという単純な事実に気づきます。体の内側のどこかにあるもやもやしたものを、物語として吐き出すのは、他の手段に比べて面倒です。生産性も高くはありません。それでも物語を書きたい人が、僕以外にも存在するんだ、と。負けたくない、賞は渡さない、なんて感情は不思議と湧きませんでした。

それよりもオリジナルの世界を淀みなく、しっかりと立ち上げようと強く決意しました

理由はよくわかりませんが、とにかくそう思えたのは収穫でした。

 

最後サイン会は素直にうれしかった。「たわらさん? お名前よく見かけますよ」

 

読んでくださったかた、ありがとうございます。

たわら